淡路人形芝居サポートクラブ
トップ活動報告淡路人形芝居ミュージアムトピックス情報入会申込みリンク集
淡路人形芝居ミュージアム 淡路人形芝居ミュージアム 淡路人形芝居ミュージアム
淡路人形芝居ミュージアム トップ 淡路人形芝居とは 人形芝居観劇 演 者(人間国宝) 映 像 外 題 淡路人形芝居 一問一答
淡路人形芝居ミュージアム
淡路人形芝居とは
神事から始まった人形芝居
神事から始まった人形芝居
三番叟奉納【南あわじ市:三条大御堂】
鎌倉時代、大阪の四天王寺より楽人が移り住み、その子孫たちが西宮から伝わった人形操りの技術を受け入れたのが、淡路人形の起源と考えられています。江戸時代の終わりまでは、毎年淡路から12人の役者が選ばれ、上洛し天皇一家の一年の幸せを祈願し、三番叟を舞ったと伝えられています。平成9年(1997年)年淡路人形座による大御堂への三番叟の奉納が復活され、以後毎年1月2日午前8時より厳かに神への奉仕の儀式が行われています。


人形浄瑠璃のはじまり
「元祖 引田(上村)源之丞屋敷跡」【南あわじ市:三条】
淡路人形の元祖引田源之丞は1570年禁裏節会で三社神楽操之式を奉納し、従四位下に叙せられました。15世紀末薬師如来の功徳を説いた「浄瑠璃姫十二段目草子」が評判となり、このような語り物が浄瑠璃と呼ばれていました。16世紀中ごろ、中国から沖縄を経て伝わった三線(蛇皮線)を改良した三味線が伴奏に使われ、慶長年間(1596〜1614)にこの浄瑠璃に合わせて人形を遣ったのも引田源之丞でした。南あわじ市三條には、源之丞の屋敷跡が残っています。 「元祖 引田(上村)源之丞屋敷跡」【南あわじ市:三条】


淡路人形の最盛期
18世紀の初めには、淡路に930人もの人形遣いがおり(1721年)、40以上の座元(1739年)が全国各地へ巡業し人々を楽しませていました。人形芝居を発展させ広めたのは淡路の人形遣いであり、それを支えたのは人形芝居が何よりも好きだった淡路島民でした。

復元された野掛け小屋【洲本市:港】 復元された野掛け小屋【洲本市:港】
 1996年第6回全国人形芝居サミット&フェスティバルは、野掛小屋を復元して行なわれました。

昭和30年代の奉納芝居【淡路市岩屋:石屋神社】 昭和30年代の奉納芝居【淡路市岩屋:石屋神社】
淡路の人形座は常設の小屋を持たず、神社の境内やむしろで覆われた「野掛小屋」で人形芝居を演じていました。
 「芝居は朝から、弁当は宵から」という言葉が残っているほど、人々は朝から夜遅くまで人形芝居を楽しんでいました。

初代 植村文楽軒の墓【淡路市仮屋:勝福寺】 初代 植村文楽軒の墓【淡路市仮屋:勝福寺】
18世紀中期には、人形浄瑠璃は歌舞伎を圧倒して全盛期を迎えました。三人遣いによる人形操りが完成したのもこのころですが、次第に歌舞伎の人気に押され、勢いをなくします。
 19世紀初頭、淡路出身の植村文楽軒(正井与兵衛)が大坂で人形浄瑠璃一座を旗揚げしました。これが現在の文楽につながっています。淡路市仮屋の勝福寺に文楽軒の供養塔があります。

浄瑠璃ミュージアム トップに戻る
お問合せ淡路人形芝居サポートクラブとはサイトマップ このページの先頭へ戻るトップページに戻る